ブラック・ビーナス/見世物にされた女性の悲劇

10月 6, 2015
1994年、南アフリカ大統領ネルソン・マンデラは、埋葬のために、その若い女性の遺骨を祖国に返還するよう要請しました。

これは19世紀に起こったお話です。当時は不条理としかいいようのない時代であり、奴隷制度が数多くの悲劇を生み出しました。今回は、遺伝的異常をもっていたがゆえに見世物とされた若い女性、サーキ・バートマンの悲しい生涯についてお話します。

拐かされて奴隷に

サーキ(英語名はサラ)・バートマンは当時20歳、アフリカ南部のコイコイ族の一員でした。コイコイ族とは、土地と家畜に密着し、自分たちの宗教とその儀式を固く守って生きてきた人々です。アフリカ大陸は長い間ヨーロッパ人たちから攻め込まれ、辱められてきましたが、若きサーキは美しい故郷の大地のかなたに何があるかも知らずに育ちました。しかし、ある日彼女の人生を大きく変えてしまうできごとが起こります。サーキの身体的特徴が金儲けのネタになると目をつけた、ヘンドリク・セザールとアレクサンダー・ダンロップという2人の男たちによって、イギリスへと連れ去られてしまうのです。

サーキは、今日では臀部脂肪蓄積症と呼ばれている身体的特徴を持っていました。これは、コイサン語族(狩猟民族でブッシュマンとしても知られるサン族と、遊牧民族でかつてホッテントットと呼ばれていたコイコイ族)やバントゥー系民族の一部など、アフリカの部族によく見られる特徴で、臀部に脂肪の異常な蓄積が起こります。これは病的肥満を患う人たちにもよく見られる症状です。しかし、サーキの場合、その症状がたいへん顕著であったのでしょう。この2人の男たちは、サーキをロンドンの劇場や見本市で見世物にして一稼ぎしようともくろみました。

「ブラックビーナス」

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彼らはサーキを「ブラックビーナス」、あるいは彼女の出身部族の名をとって「ホッテントットビーナス」と呼びました。いったい何がどうなったのかもよくわからぬまま、サーキは海を渡り、ロンドンのさまざまな劇場のステージに立たされました。そのショーは粗野で、屈辱的なものでした。聴衆の前に裸同然で立たされ、自分の身体を好奇心丸出しの人々の目にさらさなければなりませんでした。予期されていたように、聴衆のほとんどは男性でした。さまざまな階層の男たちが、高い料金をもいとわずに、若いホッテントット族の女性とその大きなお尻とを見にきたのです。

4年ものあいだ、これと同じようなシーンが毎晩繰り返されました。望みもしないのに、知らないうちに見本市の見世物にされたサーキにとって、ひどい心理的拷問だったことでしょう。彼女を奴隷とした男たちは、短期間で金持ちになれたことに味をしめ、ロンドン以外の都市でも興行を繰り返しました。幸いなことに、まもなく彼女のショーを許しがたい屈辱であると判断した奴隷廃止主義者たちが批判の声をあげ、この堕落した見世物を即刻禁止すべきであると主張し、裁判を起こします。

ヘンドリク・セザールとアレクサンダー・ダンロップは、批判の声に対し、サーキは自分がやりたいと思い、自由意志でショーに出演しているのだと反論しました。そして自分たちの主張の証として、サーキが署名した契約書を呈示しました。この訴訟は、サーキ自身が訴えを退け、アフリカに帰る意志がないことを証言したため却下されてしまいます。ただ、この証言が彼女の本心から出たものかどうかは、疑いの余地があるとされています。

悲惨な人生の結末

アフリカ

「ブラックビーナス」ショーに対する批判が高まるなか、興行主たちは店じまいを強いられ、サーキを売らざるを得なくなりなりました。買い手であるフランス人ディーラーは、サーキの名前を利用して一儲けをたくらみ、彼女を取り巻く状況はさらに悪化しました。サーキはパリのさまざまなクラブで再び晒し者となり、一説では売春も強いられたといいます。また、大勢の科学者たちが彼女の身体を研究の対象として扱いました。

フランスに移った翌年の1815年、過酷な運命に翻弄されたサーキの短い生涯は、彼女の病死によって幕を閉じました。天然痘だったとも言われますが、はっきりした死因はわかっていません。もしかしたらそれは、梅毒・結核・肺炎、あるいは深い悲しみそのものだったかもしれません。

サーキは死によって安らかな眠りについたとお考えでしょうか。現実にはそうではありませんでした。彼女の死後、その身体は解剖され、骨格標本と、ホルマリン漬けにされたと性器とがパリの人類学博物館に展示されたのです。人間の残虐性と奴隷制度の証であるその展示は、1970年代の半ばまでつづきました。

サーキ・バートマンの本当の意味での永眠は、1994年、当時の南アフリカ大統領ネルソン・マンデラが、フランス政府に対しサーキの遺骨の返還を要請することで、実現の方向に動きだしました。彼女の遺骨がついに祖国に帰り、埋葬されたのは2002年。故郷を離れてから192年後のことです。ひとりの大きなお尻の女性–ブラックビーナス–の悲劇は、決して起こってはならなかった、そして決して繰り返してはならない歴史のひとこまとして、語りつがれていくことでしょう。

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