パラリンピック、マリーケ・フェルフールト選手の安楽死という選択

3月 8, 2017
若い頃に退行性筋疾患だと診断されたマリーケ・フェルフールト選手は、アクティブに過ごすことを勧められました。彼女はスポーツをすることで前に進んできたのです。今はまだその時ではない、としていますが、彼女の考える時期が来れば自らの命を安楽死という形で終わらせることを決意しています。

若い頃に退行性筋疾患だと診断されたマリーケ・フェルフールト選手は、アクティブに過ごすことを勧められました。彼女は前に進む理由をスポーツに見出しました。2016年のリオ・パラリンピックでは、3つのメダルを獲得しました。今はまだその時ではない、と彼女は述べていますが、彼女自身の考える時期が来れば、自らの命を安楽死という形で終わらせることを決意しています。

マーリケ・フェルフールト選手はファイターです。彼女は2008年、安楽死への書類を準備した37歳のベルギー人アスリートです。彼女は、今はその時ではないということをはっきりとさせていますが、いずれその時はやってきます。彼女は、自分自身の条件で死を迎えたいのです。

私たちは皆、自分の人生に何がやってくるかを完全にコントロールすることはできないということを知っています。病気、事故、予期せぬ出来事…こういった困難な出来事は私たちを試すのです。

私たちは、人生に何が起こるかを選ぶことはできません。しかし、人生をどのように終わらせるかを選ぶことはできる場合があるのです。

マーリケ・フェルフールト選手は再び、安楽死についての議論を巻き起こし、パラリンピックの後にはこの世を去るのではないかという誤った噂が広がりました。

けれども、これは事実ではありません。今はまだその時ではないのです。しかし、賢く繊細で勇敢な彼女の言葉は、世界中に感銘を与えました。

安楽死という考え方に賛成するか反対するか、それは置いておいて、ある一つのことには誰もが賛成できるのではないでしょうか。それは、この素晴らしい女性は、私たちの賞賛と尊敬に値する人物だということです。

今日は、そんな彼女のストーリーを見ていきましょう。

マリーケ・フェルフールト選手の最後のレース

マーリケ・フェルフールト選手は、大切な日々を一日一日、目にするもの全て、耳にするもの全て、そして新鮮な空気の一息一息を大切にするような人生を進んでいます。

  • 彼女は陸上やランドヨットに参加しています。病気で体が動かせなくなる以前はトライアスロンも行っていました。2016年のリオでの試合では銀メダルを獲得しましたが、これは彼女が受賞した数々のトロフィーのほんの一つにしか過ぎないのです。
  • 2012年のパラリンピックでは金メダル、銀メダルをそれぞれ1つずつ、計2つ獲得しました。
  • 国内の大会では数え切れないほどの賞を勝ち取っています。彼女によると、これまでに受賞して一番幸せだった賞は、彼女の強さ、性格、卓越した例を認めたフラメンコ・スポーツ・ライターズ・アソシエーションのものだそうです。

マーリケ選手によると、これはオリンピックでの本当に最後のレースになるだろうということです。

変性疾患

マーリケ選手は退行性筋疾患を患い、かなり若い頃から車椅子での生活を送っています。本当の問題は、車椅子ですごすという不便さではなく、毎日彼女が耐える身体的な苦しみなのです。

マーリケ選手は、もう20年もの間、毎日このコンディションと戦っています。そして年々、自分の体の反応が少しずつ鈍くなっていくのを見てきました。

時に彼女は気を失います。てんかんの発作が起きます。激しい痛みに襲われます。そして、そう遠くない未来には視力を失ってしまうということを知っているのです。現在、彼女の視力は20%程しかありません。数年、もしかすると数ヶ月の間には、完全に暗闇の世界で闘うことになるでしょう。

この慢性の病気のため、彼女は不可逆的な障害の生活だと言い渡されたのです。

安楽死

マーリケ選手はとても早い段階から、何が起こっているのかを知っていました。診断を受けた後、彼女は自殺すらしようとしたと認めています。しかし、ある何かが起こったのです。

彼女の主治医たちは、質の良い生活を送るためにはアクティブでいるべきであると言ったのです。スポーツは戦いで、サバイバルでもあります。彼女は医師たちの意見を取り入れ、生きるための力強い理由を見つけたのです。

マリーケ選手は、車椅子でバスケットボールをし始めました。そして、スキューバダイビングと水泳も始めました。トライアスロンに参加して優勝し、認められた時、彼女は本当に自分自身を見つけることができたのです。

彼女は2006年のパラトライアスロン世界チャンピオンです。彼女は2年連続優勝したのです。

2008年、病気が進行したため、彼女はもうトライアスロンに参加することはできなくなりました。彼女の人生は止まってしまったのです。しかし、彼女の国は彼女に声をかけ、彼女の抱えるストーリーを話してくれるよう頼んだのです。そして、テレビで証言することとなったのです。

そして、マーリケ選手は『Sports for Life』という本を出版します。同時に、もう一つの大切な仕事も行っていたのです。それは、安楽死に関する書類を準備することでした。

彼女の体は、もはや愛するスポーツをするには機能しておらず、数年後には体も視力も永遠に閉じられてしまうだろうということを知っていたのです。

今はまだその時ではない。それでもいつかその日はやってくる

トライアスロンを止めてから、彼女はランドヨットとして知られるスポーツを追求し始めました。ランドヨットとは、帆を流れる風によって進む車輪の付いた車のような乗り物でレースをするスポーツです。マーリケ選手は2011年、ランドヨットで準優勝します。

その後、別の得意分野が現れます。車椅子競技です。T-2カテゴリーに含まれた後、マーリケ選手は全ての大陸記録を制したのです

  • 2012年のロンドンオリンピックにおける彼女の成功は、彼女に拍車をかけました。毎日耐えなくてはいけない痛みにもかかわらず、生きる理由を持ち続けたのです。
  • 彼女の痛みはとても激しく、10分程ずつしか眠ることができないそうです。
  • てんかんは日に日にひどくなってきています。時間はゆっくりと訪れてくることを彼女は知っていますが、同時に、できる限り人生を楽しみたいと彼女は述べています。

いつの日か彼女の目が完全に見えなくなってしまった時、痛みと麻痺だけが残り、体がもはや彼女のものではなくなってしまったと感じた時、彼女はこの世に別れを告げることでしょう。安楽死は降伏ではなく、最も勇気ある休息なのです。

マリーケ選手はすでに自身の葬儀の計画を立てています。彼女の遺灰はスペイン、カナリア諸島のランサローテ海に撒かれるということです。

マリーケ選手は、笑顔の自分を皆に覚えておいてもらいたいと願っています。そして、彼女がもはや苦しむことなく、平和に安らかに眠る時、彼女は皆の笑顔が見たいと願っているのです

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